深い深い眠りの底で、まどろむ君を見ていた。
起きて、
そう告げる前に冷たい水でその目をこじ開けた。
「起きて、」
器官に入った水で君はむせていた。
そうして吐き出した雫にさえ、嫉妬している事を君は知っているのだろうか。
君に触れるもの、全て飲み込んで無くしてしまいたい。
【暁に鴉】
「ゴホッ、ゴホ、ゴホッ…」
ある寒い冬の最中、幻騎士は風邪をひいた。
この前、朝っぱらから彼に冷水をぶちまけたまま放置した事が原因だろう。
体を拭く物も与えなかったから。
「ゴメンね、君も風邪とかひくんだね。」
そう言って40度近い熱を出している額に手をやると、体温が低いのが気持ち良かったのか擦り寄せるような仕種をする。
何だか、ちょっと可愛い。
「いえ、ここまで酷い風邪は初めてだ。」
閉じていた目をうっすらと開けて幻騎士が答える。
声は咳のし過ぎて涸れていた。
「それ、厭味?」
意地悪な言葉で困らせるのは悪い癖。
解っているのに、君が優しいから繰り返してしまう。
「貴方のせいではない、貴方はこうしてワタシを介抱して下さっている。それで十分だ。」
本心じゃないと解っているのに、その屈服する姿が嬉しい。
君の全部、僕の物。
「…何か欲しいものある?ネギとかどう?」
「…何する気です、勘弁願おう…ゴホッ、ゴホッ、」
冗談のつもりだったんだけど、体に障ったみたいだ。
「ゴメン、ゴメン、ついね、つい…」
愛しい肢体が目深に被った掛け布団の上からでも目に浮かぶ。
そのままベッドにのし上がり、覆いかぶさると眼下に風邪ひきの幻騎士。
「つい、ね。」
このまま虐めてしまいたい。
弱った体の君もとても素敵だ。
熱で赤味が挿したその鼻も、汗ばむ肌も、涸れた声も、薬臭い唇も、潤んで腫れた目元も。
「注射の痕、発見。」
布団から左腕を引っ張り出して、血管の透ける所をなぞる。
栄養注射をした痕から微量の血が滲む。
「白蘭様、」
その血を舌で舐めとると苦い消毒液の味がした。
「風邪、移りますよ。」
心配なんかしてないくせに。
「良いよ、移しても。」
笑顔でそう言うとまた君は困った顔をする。
「君の物は僕の物だから、全部頂戴よ。」
注射の痕を歯でなぞる、噛む、柔らかい皮膚が悲鳴を上げてプチプチと小さな亀裂を作っていく。
そこから血を吸い出し、ニタッと笑ってから幻騎士の顔に吐きかけた。
飛び散る血痕。
「ウィルスだって、何だって、僕から君を奪えやしない。」
顔を顔に寄せて囁く。
「だって、全部僕が食べ尽くしてしまうから。」
赤に染まった口でその貝殻のような耳をくわえて舌で撫で回す。
「っん…白蘭様…お戯れを…」
耳が一際敏感な幻騎士が堪らず身をよじる。
逃げる君を追い掛けて、布団に潜り込む前に首を取って掴んだ。
「は、ぁ…白蘭様、…ぐ、ゴホッ、ゴホ、ゴホッ…」
掠れた声で僕の名を呼ぶ。
「ゴホッ、ゴホ、う、はぁ…は…」
赤く上気した頬に伝う苦しみの涙を唇で優しく吸い取ってあげると、ようやく幻騎士の咳は止まった。
「ねぇ、もっと君の泣き顔が見たいと言ったら怒る?」
顔を覗き込んで尋ねると幻騎士はまだ苦しそうな表情を浮かべて僕を見詰めていた。
「ワタシを今、ここで死なせたいと言うのであればどうぞ、如何様にでもなさい。」
僕の胸の奥で鴉が鳴いた。
そんな事は許さないと。
気付いたら僕は幻騎士の顔面をグーで殴っていた。
「君には何もあげないよ…生も死も、全部僕の物なんだから…君には死ぬ資格すらないんだ、幻騎士。」
幻騎士の鼻から血が滴る。
それは真っ赤な夕焼けか、暁の空のような鮮やかさで僕の目に飛び込んでくる。
「あぁ…また、君を虐めたくなってきちゃったな…」
全部、全部、君のせいなんだ。
「痛いのはどこだろうね…僕が無くしてあげる…」
そっと殴った後の頬をなぞり、そのまま指先で部屋着の襟を掻き分ける。
熱でボーっとした意識の幻騎士は殴られた衝撃で朦朧としついる。
そんな無垢な目で僕を見ないで。
はだけた胸元に深い傷痕が覗く。
君が僕の物である印。
「いつか全部失うまで…」
それまで僕は君を壊し続けるだろう。
刻む傷痕に血を零したような暁。
鴉は羽の在りかを問う。
けれどそこには何も有りはしない。
痛みも、悲しみも、絶望も、全部飲み干してしまったのだから。
次の日、幻騎士の風邪が悪化したのは無理もない。
見兼ねたチェルベッロ達が白蘭から幻騎士を取り上げ、看病したので、
そのまた3日後には驚異の回復力で風邪は完治したが、
機嫌を損ねた白蘭の幻騎士に対する仕打ちはかなり激しかったようだ。
更に2日後、足腰立たなくなった幻騎士に白蘭は言った。
「ねぇ、もっと君を愛したいと言ったら怒る?」
end.
