切れる音がした。
頭の中で何か大切な物が音を立てて壊れた。
壊したのは誰でもない自身である事を悟りながら、
それでも求めた。
壊される事を。
【Black Nail.】
「日本の増援に行って欲しい。」
白蘭の呼び出しを受けた幻騎士に彼がそう告げた。
「日本…ですか。」
幻騎士が聞き返すと白蘭は笑う。
「正チャンの手伝いをしてあげて、それから…」
言い渡された任務はボンゴレの殲滅。
そうやって、白蘭は幻騎士を汚す。
内から、外から、血で濡らし、罪で汚し、腐敗し朽ちるのを待っている。
幻騎士にはそう思えた。
「白蘭様の仰せのままに。」
自分が壊れていく。
その頃、深手を負ったγは医療施設のベッドの上だった。
一時は生死の境をさ迷ったが、今は容態も安定し、明日には部隊へ復帰する事になっていた。
ただし、当面は謹慎である。
白く無機質な部屋はあの晩の事を思い出させる。
白蘭の私室に飼われた幻騎士の姿を。
そして、過ぎるのは無責任な言葉達。
『お前の腕は乱暴に見えて優しい。』
『他の物は全部忘れて、逃げてしまえたら良いのにね…奪って逃げてしまえたら…』
『γ…』
『今は僕の物だ。』
『苦しそうだったよ、』
「……解ってらぁ、そんな事。」
解っているのに何も出来ない。
何をしても壊れるばかりで元には戻らない。
γはただ、項垂れるだけ。
「白蘭様の命で馳せ参じた。」
幻騎士が日本に到着したのはその2日後の事になる。
入江を筆頭にホワイトスペルに掌握された形になったこの基地で、
幻騎士への視線もまた、冷たい物だった。
黒でもなく白でもない、彼は明らかにファミリーで孤立していた。
「話だ。」
そのまた次の日、幻騎士が自らγの前に姿を表した時、γは正直驚いた。
ミルフィオーレとなって以来、
何かと互いを避けるようにしてきた二人がこうして隊員達も居る面前で対峙する事はなかったからだ。
「幻騎士…」
最後の夜から一ヶ月が経っていた。
幻騎士が話に来たのはユニから預かったというボックスの事だった。
それはかつてγが持っていた物。
ボスを守る盾として、幻騎士とのツートップでジッリョネロファミリーを率いていた頃の物だ。
まさか、その幻騎士からこれを渡される事になろうとは。
「それを使うか否か貴様の自由だ。」
幻騎士は素っ気なくそう言うとγに背を向けた。
また、遠くなる。
γはそう思いながら手を延ばす事をためらった。
しかし、予想外にも幻騎士は部屋を出る途中で足を止めた。
彼は待っていた。
「γ…最後に会ったのはいつだった?」
幻騎士の問いにγは一瞬言葉を詰まらせたが冷静を装い答える。
「二ヶ月くらい前か、任務の通達で白蘭の執務室に…」
そう言い掛けた所で幻騎士がうっすらと笑みを浮かべた。
それは今まで見た事もないような怪しい微笑みだった。
「嘘だな…」
背筋がゾッとした。
「γ、オレは知ってる…」
何かが切れる音がした。
「…お前の指の暖かさを、忘れる訳などないのだから。」
怪しく、悲しく、美しく微笑む幻騎士を、気付けば手を伸べて抱き留めていた。
γは強く、抱きしめる事しか出来なかった、何も言葉が出てこなかった。
謝る事も、許す事も、責める事も、何も幻騎士を救わないと知っていたからだ。
「知っていたんだ、あの晩、お前があの部屋にいた事…例え見えなくとも、聞こえなくとも、俺の体が覚えていた…」
それでも幻騎士の虚ろな瞳はγを写していた。
「あの晩、オレを抱いたのはお前だ、γ…」
白蘭の見ているままに、手の平で躍らされていると解っていながら、幻騎士を傷付けると解っていながら、
紡いだ過ちは確実に幻騎士を蝕む。
γはそんな弱い光の視線がいたたまれなかった。
「俺はお前が大嫌いだ。」
γの口が発したのはそんな薄っぺらい言葉。
「…あぁ、オレもお前が大嫌いだ。」
幻騎士も反復するように同じ言葉を言う。
どうすれば救える、そう聞きたくても聞く事さえもが今は幻騎士を崩壊に近付ける気がして言葉にならない。
「お前なんか、大嫌いだ…」
何もかも一人で背負い込んで、一人でそこに立っている。
γはその姿を見詰めるだけで手を伸べる事も出来ない。
「オレも、お前の優しさが大嫌いだ…」
幻騎士にとって、伸べられない手も、突き放す言葉も、薄っぺらな嘘も、乱暴な愛撫も、
全てが優しさなんだと悟った時、γは恐怖に震えていた。
己もまた、幻騎士を壊すのだと。
「壊すなら、殺してくれ…」
幻騎士が言った。
「お前の手で殺してくれ…」
それはまだ、ジッリョネロにいた頃に幻騎士と交した約束。
「死にたい…」
無表情に呟くその姿が、あの日の幻騎士と重なる。
屍の山に剣を突き立て、腐敗の風に髪を揺らし、彼は微笑んでいた。
「……俺が、殺してやる…殺してやるから…」
取り戻せない時間をここまで憎いと思った事があっただろうか。
「まだ、壊れるな…」
幻騎士はその言葉に安堵の顔をしていた。
「きっとだ、」
幻騎士がそう言うとγは迷うようにその唇に触れた。
それは次第に深くなり、突き刺さるような衝動に無意味な言葉は消えていった。
死を共有する獣が二匹。
その爪は罪に汚れた黒い刃。
求めるものは尊い眠りと救われぬ快楽。
そして、互いの命は呼び合う、
それぞれの崩壊を。
end.
