銀色に光る刃がこの身を切り刻む度に背筋に走る寒気。

軽くなっていく肩。

暖かい指先と冷たい切っ先。

開けた空。








悪戯な凶器。










「あ〜もう、いい加減にしろよ、欝陶しい!」


いつものようにジッリョネロファミリー本部の共同リビングダイニングで朝食を摂りながら新聞を読んでいた幻騎士にγが唐突に怒りの声を上げた。


何がだ。」


幻騎士が不思議そうに新聞を下ろして顔を上げるとγはフルフルと震えながら込み上げる苛立ちを堪えている。


「何でお前はそう無頓着なんだてか、何で他の連中は何も言わねぇんだよ、ったく!」


声を荒げながら、γは呆れ半分でテーブルの向かいにいる幻騎士の方へとズンズン近づき、不可解な顔をしている幻騎士の頭を掴んだ。


「この髪の毛の事を言ってんだ、ダラダラ伸ばしやがって欝陶しくないのかお前は。」


この時、幻騎士の髪の毛は前髪が顎を過ぎ、後ろは背中の真ん中くらいまでの長さになっていた。

と、いうのも、彼はそういう類の事に気が回らない気質故、何年も髪を切っていなかった。

武器の手入れは怠らないくせに、洋服やら食事やら、理容、家事、あらゆる生活力がごっそり欠けているのだ。


慣れたな。」


幻騎士が伸ばしっぱなしの髪を少しいじりながらそう言うと、γは大きな溜息をついた。

正直、ファミリーの一員になる前はどういう生活をして来たのかすら疑わしいこの男、何かと気の回るγにはどうも放っておけないのだ。


「とりあえず、縛るくらいはしたらどうだ?」


そう言うとγはどこからともなくヘアゴムを取り出し、椅子に座ったままの幻騎士の後ろへ回り、

サイドの垂れた髪を掻き上げてまとめようとした。


「ふぁッ!」


すると幻騎士が思いもよらないような大きな声で奇声を上げて身を縮めた。


「うぉっ!」


γ
もそれに驚いて思わず手を離し、後ろに一歩引いた。

一度まとめようと後頭部に集められたトリートメントもしていないバザバサの毛先はバラバラと元に戻っていく。


「何だよいったい!」


γ
が怒り気味に問うと幻騎士は少し俯いて小さな声で答えた。


「耳


「は?」


「耳に触るな


普段からポーカーフェイスで表情の読み取りにくい幻騎士だが、その頬は幾らか恥ずかしそうに赤く染まっていた。

その様子を見てγはしたり顔に悪戯な笑みを浮かべる。


「なんだ、お前、耳が弱いのか?」


そういわれて幻騎士は明らかに図星だという表情で渋い顔をした。

正直意外だ。

身体能力でファミリー随一を誇る剣士の弱点が耳とは。


「それで髪が伸びても結びもしないで伸ばしっぱなしにしてやがったのか。どれ、」


いつもすかした面をした幻騎士へのちょっとした意地悪のつもりでγが長い髪を掻き上げ、耳に息を掛けた。


「ひゃッ!」


すると幻騎士は本人の声とは思えないような裏返った声を上げて体を傾けてγから遠ざかった。


γ!」


頭にきた様子で目を吊り上げる幻騎士だったが、ちょっと涙目になっているので凄みに欠ける。

そんな顔をされると冗談だとしても妙な気分になりそうだ。


「悪かった、悪かった、なら俺がその欝陶しい髪を切ってやる。勿論、耳が出ないようにだ、どうだ?」











アジトの裏手の庭に簡素なパイプ椅子を出し、そこに幻騎士を座らせるとγはシーツをその首に掛け、手際よくピンで止める。

長い髪をザッと衿から出し、荒目の櫛を通す。

毛先はバサバサしているが汚い訳ではない。

首から根元辺りの髪の毛はツヤのある黒で、元々の髪質は寧ろかなり上等だ。


「面倒臭ぇからバッサリいくぞ?」


「ああ、好きなようにしてくれ。」


幻騎士はそういうと目を閉じてγに頭を委ねるように少しだけ顎を上げた。

その様子があんまりにも無防備だったのでγの脳裏にまた悪戯心が顔を出す。


「ふ、任せな。」


右手に光る銀色の鋏。

髪切り用ではないので切れ味はあまり良くないが、先が鋭く尖り、

刃が幻騎士の髪の毛を捕らえるとザクッという音を立てて毛束がシーツを滑り足元の芝生に落ちていく。

次第に軽くなっていく頭。

時折首筋に触れる鋏のひやりとした冷たさと、γの指の温もり、この穏やかに流れる時間がとても心地よい。


「後ろとサイドはこんなもんか、」


後ろ髪は首が覗く長さ、サイドは耳の下、えらの辺りで切り揃えられた。


「前髪切るから目、つむっとけよ?」


「あぁ。」


言われるままに目を閉じた幻騎士にはその時のγの笑みは見えていない。


ジョッキン


γ
は誰かが見ていたなら慌てる程の短さで幻騎士の前髪を切断した。

長さは眉毛より3cm以上高い位置。

バッサリ切り落とされた前髪の下からは幻騎士の柔らかそうな額と天然の麿眉が覗き、目をつむった状態の表情もどこか柔らかい。


「どうだ、」


γ
が四角い質素な鏡をドンッと幻騎士の顔の前に突き出す。

ゆっくりと目を開ける幻騎士。

その反応を待ち受けるγは既に満足気な笑みを浮かべていた。


「うむ


目を開けた幻騎士の目に写る鏡の自分の姿。

その仏頂面がどんな風に変わるかとワクワクしているγを余所に、その反応は非常に薄い。


頭が大分軽くなった。有難う。」


「は?」


これで良いのか、お前はこれで良いのか、γは心の中で何度もそう叫んでいたが、

自分が切った手前、相手が何も言わない以上ツッコミようがない。


「前髪が短くなったな


ようやく幻騎士が前髪の事に触れたのでγは少し次の言葉に期待したが、

幻騎士は結局それだけで特に苦情も言わず、さっぱりした頭を手櫛で掻いている。


「まぁ、気に入ったならそれで良いさ


あまりの期待ハズレっぷりにγは溜息をついた。


?」


幻騎士は不思議そうにその様子を見ている。

そよぐ午後の風がその丸い額を撫でて短くなった前髪をさらう。

その一風変わった髪型は存外、幻騎士に似合っていた。


「あぁ、」


しばしの沈黙の後、急に幻騎士が声を上げる。

シーツから髪を掃って片付けていたγが振り向くと幻騎士は椅子に腰掛けたまま、上を見上げていた。


「空が広いな。」


長い間、あの重い前髪のせいで空すら見上げていなかったのだろう、そういう幻騎士の口調は妙に楽しげだ。


「そりゃあ良かった。」


γ
の口調も無意識に軽くなる。


「綺麗な空だ


幻騎士の若葉色の瞳が空の青と重なり、深い緑になっていくのをγはただ見つめていた。










その後、他のファミリーには散々前髪の短さを突っ込まれたが、幻騎士はさして気にせず、その髪型はたったの3日で定着した。

ただ、あまりにも短くしたので目に入る長さになる前に整えるという作業がγの仕事に付け加えられたのは必然だ。







悪戯な凶器、光る切っ先、招くは幸か不幸か、君の傍ら。


月に一度、その額に触れる指先のもどかしさ。




見上げる瞳が待っている。






その次を。











end.