騎士は姫を守るために剣を取った。
騎士は姫を守るためにそれを鞘から抜いた。
切り刻んだ物は数知れず、無くした物は星の数。
そしてただ一つ、手に入れたモノ。
[Knight
of Sigh]
乾いた風、血の臭い、辺りを埋め尽くす屍。
赤い血溜まりの海に騎士は立っていた。
東洋人独特の黄味掛かった色白の肌を鮮烈な赤い雫に嬲らせて、顔色一つ変えず、ただそこに立っていた。
「…なんだ、もう片付いちまってるじゃねぇか。」
その光景を暫く息を飲んで見詰めていた男がようやく騎士に声を掛けた時、この惨状に沈黙が訪れてから30分が経過していた。
「幻騎士…」
切れ長の瞳に何も写さないように、ただ一点だけを見据えたまま微動だにしない。
まるで、エネルギーの切れたロボットのように。
「…いつまでそうしてるつもりだ?」
転がる屍を踏み付けにしながら男が近づく。
今、彼の目の前にいる騎士は何よりも不可侵な空気を纏っている。
下手に近づけばこちらが殺されるかも知れない。
そうとすら思っていたにも関わらず、長い沈黙の中で騎士から発せられた言葉はあまりにも予想外だった。
「γ…俺は、生きているか?」
相変わらずの無表情で握った剣の柄にだけ力が篭る。
騎士は震えていた。
「あぁ…」
γは答えた。
「ちゃんと生きてるよ…」
騎士は王子にはなれない。
姫を助ける王子は時に騎士となり英雄になるが、
騎士は永遠に騎士であり、王子にはなれない。
姫を守るために剣を抜き、その身を血に染める。
姫の白いドレスを汚さぬように、その華奢なハイヒールでつまずかぬように、
繊細な指先を傷つけぬように、いつぞ彼女を王子が迎えに来るまで、
その傍らで、
血に染まる剣。
それが我ら騎士の役目。
「…そうか、生きているか……良かった。」
騎士が見開いていた目を閉じる。
そのアンニュイな佇まいにγが再び息を飲んだのは言うまでもなく、血染めの剣はその白銀の刀身をまやかしのように光らせている。
「…死んだ気がしたんだ……おかしな事を聞いてすまなかった、γ。」
きっと、それは心の死を意味している。
守るモノのために心を半殺しにしてこの世界を駆け抜ける騎士。
こんな貴真面目な男がこんな酷い世界に居るのはさぞかし辛いだろう。
そう、γは思った。
争いも殺しも彼の望む物ではない。
ただ、守るために剣を振るう。
それでも、血に染まる騎士は美しい。
深い闇を模した黒髪と鮮血の赤のコントラスト、白い肌に染み付いた戦場の臭い、
しなやかな肉体を踊らせ人を危める様は狩りをする豹のようだった。
そして疲れた体を荒んだ風にもたれ掛け、ひそやかに死者と対話する。
一人のために奪った物を思い、零したその愁いを篭めた溜息すら…
「死にたくなったら、いつでも声を掛けてくれ、」
歩き出した騎士の背中にγが言った。
その言葉に振り返る騎士。
「俺が殺してやる。」
γが笑った。
騎士が珍しく表情を和らげたのはγの見間違いではないだろう。
「…恩に着る。」
その時が来たらきっと、掛けられる声も無くしているかもしれない。
礼もろくに言えないだろう。
それでも問答無用で自分を葬ってくれるのはこの男だけである事を騎士は知っていた。
「その時は…姫を頼む。」
壊れる時が来るまで、
自分の時が止まるまで、
騎士は永遠に姫だけの騎士であるために。
二人の騎士は血に染まる。
end.