白イ酒ナラ
滔々ト
注イデクレマセ
満々ト
此ノ口
蛇ノ口
地獄ノ淵
全部ペロリト飲ミ干ス
『クルヰビ』
「んぁ、あ…ぁッ…」
今日は妙に饒舌な、黒い髪を掻き分ければ雫の溢れる紅い口が
言葉にならない言葉で語りかけている。
もっと注いでくれと言う。
「ん、はぁ、」
俺はまるで托卵にでも遭った親鳥の様に、その色に触発されるまま餌を与え続ける。
何て不毛な行為なんだろう。
「、この…」
淫乱野郎が、
そう言って罵り、嘲笑う事が出来たなら、こんなに苦しい事はなかった。
そうだろう。
この日は二人での暗殺任務の帰りだった。
ターゲットの元にスパイとして潜入していた幻騎士は私服らしい丈の長いチャイナ服に身を包み、
乗り込んできたγを迎えた。
任務は驚く程あっさりと片付き、後始末も滞りなく、夜中の12時過ぎには帰路に着いていた。
出来過ぎだ。
何かが心の中で引っ掛かっていた。
「奴さん、随分とお前の事信用してたみたいだな。」
呆気なくこめかみを貫かれたあの男の、幻騎士を見る目が気に障るのだ。
最期まで彼を凝視していたあの目が。
「…簡単な事だ、」
どんな手を使った。
γがそう口走る前に幻騎士自ら語り出す。
事の次第は想像が付いていた。
「敵意がない事を示し、相手に服従する。
一度簡単に支配してしまった物に、人は注意が薄くなる。
それが“フリ”だとは知らずにな…」
えぐい事をする、この男は。
「…寝たのか。」
「くどい。」
γの核心を突く言葉にも、幻騎士はただ一言、そう返した。
至極当然のように、冷めた瞳が夜の闇だけを写していた。
「任務遂行のために、オレは手段を選ばない。
ただ、全力をもって敵を排除し、ファミリーの為にこの身を捧げるだけだ。」
何食わぬ顔で、冷静な“フリ”をして、この日の幻騎士はよく喋る。
嘘が上手い彼が必死に自分の中の別の自分を抑えようとしている証拠だ。
「ファミリーの為にってのは解るがな、もう少し手段を選んだらどうだ?」
怪訝な表情でγはそういうと苛立っている自分を悟られないように、
あくまでだるそうに頭を掻いた。
嘘の吐き合いが息苦しい。
「真っ当な手段を選んでいたのでは時間が掛かる。」
正論の中に隠れた幻騎士の眠らぬ本能の沙汰が、
付き合いの長いγには薄ら透けて見えるようだ。
問い質せ。
暴け。
掻き乱せ。
そう激しく頭の中で魂がこだましていた。
「誘われたんだろ?」
「…、」
γの言葉に幻騎士が目の端を微かに瞬かせる。
「ちょっと面倒見てやってなかっただけで、下らねぇ野郎に盛りやがって…」
「何?」
流石の幻騎士もポーカーフェイスが崩れ、怒りに眉間を寄せた。
その表情を見てほくそ笑むγは幻騎士の黒髪を後頭部から包むように鷲掴み、自分の方へ引き寄せる。
「良かったのか…いや、そんなはずねぇよなぁ…
あんな腑抜けた男で代用されたならたまんねぇからな。」
耳元で唸るように囁くγの声で幻騎士の鼓膜は震える。
「自惚れるな。オレとお前はあくまで利害の上で繋がっているに過ぎない。」
また、表面の言葉で嘘を紡ぐ幻騎士の顔色には憤慨が現れているだけで、普通ならここで尻込みする所。
しかしγには彼の落し方が解っていた。
「満足出来なかったんだろ、足りないんだろ、充たされたいんだろ…」
気付けば薄暗い路地に入り込んだ二人の足取り。
γは夜の暗がりを味方に幻騎士の纏うチャイナ服のスリットから手を滑らせる。
「ッ、」
巧みな指は薄手なシルクのズボンの上からその内股を捕らえて滑らかに嬲る。
「止めろ、こんな…」
言葉では平静に装う幻騎士だが、次第に息が張り詰めていく。
「強がるなよ、」
頭を抱えていた手を首へ回し、顔を寄せ鼻先でくすぐる。
詰め襟の飾り釦を解き、露になる白い首筋に香る肌の匂いにむせ返りそうだ。
「…怒っているのか、γ?」
未だ平静を装う言葉面とは裏腹に男の指を受け入れる身体は呼応するように色めき立つ。
「妬いてんだ…らしくねぇだろ、」
言葉を選ぶ必要はない。
「下らん…」
背けた顔を追い掛けて首から顎を通り、耳の裏に唇を走らせると幻騎士の喉の奥が震える。
抵抗を知らない体が欲情の口を開きはじめ、言葉の裏側に隠された本音を紡ぎ出す。
「そういう割には嬉しそうじゃねぇか…やらしいな…」
精神も意志も堅く、けして単純な誘惑など受け付けないが、
弱点を心得てしまえば体を守る城壁は非常にたやすく崩れ落ちる。
それが幻騎士の落とし方とγは承知していた。
「馬鹿なことを…」
次第に吐息混じりになる言葉。
表情には現れないが指先に伝わる熱と脈だけは何よりも素直だ。
γの指に寄り添う肌も、開いた口先も、無口な幻騎士の隠された心の声を代弁する。
早く、
強く、
激しく、
その空腹を満たして欲しいと大きな口を開いて請うのだ、
酔いを与える美酒が欲しいと。
「カラカラだ…」
ビルとビルの隙間、壁に押し付けて退路を奪い、後ろから愛撫の手を伸ばす。
喉が乾いて仕方がないと体が悲鳴を上げている。
シルクの霧を剥ぎ取ったその向こう、空っぽの虚空に甘い情事の雨が降る。
「ん…」
肺の奥から押し出された空気が囀りとなって紅く熟れたくちばしを飾る。
「満たしてやるよ、」
欲を飲み干す口が次の餌をねだって喚く。
俺はその白く愛らしい羽と強烈なコントラストを描く口空の紅に逆らう術を持たない。
「それは無理だ…オレが…」
全部飲み干してしまうから。
また注ぐ。
永遠に満たされる事のないような奈落の底に落ちる体は止められない。
そしていつしか雛鳥は大きな羽を広げてどこかへ飛び去るのだろう。
与えられた偽物の愛と餌を吸い付くし、また、甘い美酒を求めて広げた羽が空を切る時に気付くのだ。
何て無意味な事なのだろうと。
愛しむ想いはその紅のせいだと言えば虚しいと心が泣き。
欲情するのはその白い羽のせいだと言えば移った情がそれを庇護する。
それでも人がそれを愛と言うものだから、信じて止まない、
注いだ情熱がその身に残る狂い灯となる事を。
End.